広島高等裁判所 昭和37年(ネ)252号 判決 1966年2月28日
控訴人・被告 鈴木栄三
訴訟代理人 椎木緑司
被控訴人・原告 加納忠雄
訴訟代理人 秋山光明
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
原判決中金員の支払を命じた部分は仮に執行することができる。
事実
(一) 控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は主文第一・二項同旨の判決および仮執行の宣言を求めた。
(二) 被控訴代理人の事実上の主張は、左記のほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。
(1) 仮に原判決別紙目録記載の建物(以下これを本件建物と略称する。)につき、訴外松原一男から訴外佐々木孝への所有権の移転が認められないとしても、昭和三〇年頃、松原は、右建物につき佐々木に対する所有権移転登記がなされていることを知りながら、なお同人に右建物を第三者に売却するように依頼した。したがつて佐々木がこれを被控訴人に譲渡した行為は適法な代理行為となるから、これによつて被控訴人がその所有権を取得し得ることに変りはなく、しからずとしても、右のような事情のもとにおいては、民法第九四条第二項からいつて、佐々木に右建物の所有権が移転していなかつたことをもつて、善意で同人から右建物を買い受けた被控訴人に対抗することはできない。
(2) のみならず松原は、佐々木と被控訴人との間の売買がなされた後において、殊に、昭和三二年二月に広島市薬研堀の料亭「憩」で、被控訴人に対し右売買を追認した。
(3) 控訴人主張の別件において佐々木のなした請求の認諾は、松原との馴合い行為であり、かつ登記請求権についてなされたもので、松原の所有権の存否を確定する効力を生ずるものではないが、何れにしても、右認諾の効力は、その当事者たる松原と佐々木との間にしか及ばす、被控訴人は、右別件において佐々木の補助参加人となつていたけれども、右認諾に拘束される理由はない。
(4) 控訴人が松原から本件建物を譲り受けた旨の主張事実は否認する。控訴人が右建物を占有する権原を有しないことは、訴訟前自認していたところであり、一審以来のその主張の変動に徴しても明らかである。
(三) 控訴代理人は事実関係につき次のように述べた。
(1) もと松原一男が所有していた本件建物につき、被控訴人主張のような各所有権移転登記がなされている事実は認める。
しかし、松原が佐々木に右建物を譲渡した事実はなく、同人の右所有権取得登記は、同人が動産売買契約につき公正証書の作成を委任するため必要であると称して預かつた松原の印鑑を冒用して、登記手続の委任状を偽造し、印鑑証明書の交付を受けて、勝手に司法書士に依頼し登記申請をしたことによるものであつて、実体上の権利変動を伴わない無効な登記である。
(2) 佐々木と被控訴人との間にも、右建物譲渡の事実は存せず、両者間の登記は、松原からの追及を困難ならしめるための通謀虚偽表示によるものにほかならない。また、被控訴人が予備的に主張するような、松原が佐々木に対し右建物の売却を依頼して代理権を与えた事実はなく、代理人としての佐々木の売却行為も存しないし、松原が佐々木と被控訴人との間の売買を事後に追認したこともない。佐々木の所有権取得登記は前記のように同人が松原の不知の間に勝手に申請して得たもので、両者の通謀によるものではなく、しかも被控訴人は、当時本件建物が松原の所有に属することを熟知しながら、これを不当に廉価で取得しようとして、その手先である佐々木に前叙のような不当行為をなさしめたものであつて、善意の第三者ではない。それに、佐々木や被控訴人が僅少の債権のために莫大な価値のある本件建物を松原の了解もなく取引することは公序良俗に反し、松原においてもさような取引が行なわれることは全然考えてもいなかつたことであるから、取引の要素に錯誤があるものというべく、何れにしても被控訴人の所有権取得は無効である。
(3) 松原は前記(1) の理由に基き佐々木に対しその所有権取得登記の抹消を求める訴(広島地方裁判所昭和三八年(ワ)第四一三号)を提起したところ、同人は昭和三九年八月二八日の口頭弁論期日において松原の請求を認諾し、ここに右登記の無効が確定した。したがつて右登記の無効を承継した被控訴人に対する所有権移転登記も当然無効とさるべく、まして被控訴人は右訴訟において佐々木のため補助参加をしていたものであるから、右認諾の効果に服すべきものといわなければならない。
(4) 控訴人は松原に対し工事請負代金六七万円の債権を有するところ、同人はその支払ができないため、昭和二九年七月一〇日頃、本件建物を控訴人の手によつて売却しその代金で右債務を決済すること、および右決済が終了するまで右建物を控訴人の所有物として占有管理することを依頼した。よつて爾来控訴人においてこれを占有しているもので、これを被控訴人に明け渡すべき理由はない。なお右建物の賃料が月額八、〇〇〇円をもつて相当とするかどうかは知らない。
(四) 当事者双方による立証関係は、当審で、被控訴代理人において、甲第五ないし第九号証を提出し、被控訴人本人の尋問を求め、乙第五号証の二および五・第七・第一〇号証の各成立については知らないが、その余の乙号各証は何れも真正に成立したものである、と述べ、控訴代理人において、乙第一号証の一および二・第二号証の一ないし四・第三号証の一ないし三・第四号証の一ないし四・第五号証の一ないし五・第六ないし第八号証・第九号証の一および二・第一〇号証(そのうち第一号証の二および第二号証の三は佐々木孝により偽造された文書として)を提出し、証人松原一男・同佐々木孝・同柳川優および控訴人本人の各尋問を求め、甲第五ないし第八号証の成立については知らない、同第九号証の成立は認める、と述べたほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。
理由
(一) 本件建物をもと訴外松原一男が所有していたことについては、当事者間に争いがない。
被控訴人は右建物が松原から訴外佐々木孝に譲渡された旨主張し、現にこれに照応する所有権移転登記の存することは当事者間に争いなく、原審(第一・二回)ならびに当審における証人佐々木孝の証言も右譲渡がなされたとするものであるが、同証言は必ずしも首尾一貫した明確なものとはいいがたく、同人が松原の債務整理のため右建物の売却を依頼されていたにとどまるものと解しうるような趣旨(同証言によつて成立の認められる甲第一号証もこの趣旨の書面と解すべきものである。)の供述部分もなくはなく、原審証人三上凱時の証言とも齟齬する部分がある。一方、当審証人松原一男の証言は右譲渡の事実を否定するものであり、また右証人佐々木孝の当審における証言によれば、前記所有権移転登記手続に使用された松原名義の委任状(乙第二号証の三)は、佐々木において記名し、保管中の松原の印鑑を押捺して作成されたものであるところ、当時動産売買に関する公正証書(乙第五号証の一)作成の必要上、何れにしても佐々木が松原の印鑑を預かる立場にあつたことが認められるから、右印鑑預託の事実から(したがつてまた前記登記の存在から)直ちに、松原が所有権移転登記をなすことを承諾していたものと推断するわけにも行かない。以上のような事情を彼此綜合し、併せて弁論の全趣旨に鑑みると、前記佐々木孝の証言は、全面的にはたやすく措置しがたく、結局、被控訴人の主張する松原と佐々木との間の所有権譲渡の事実については、これを肯認するに足るだけの証拠が存しないものといわざるをえない。
(二) しかしながら、前顕甲第一号証、成立に争いのない甲第二号証、当審証人佐々木孝の証言により成立の認められる甲第五号証、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一〇号証に、前顕証人佐々木孝の各証言と当審証人松原一男の証言、ならびに何れも当審および原審における被控訴人および控訴人の各本人尋問の結果を綜合すると、松原は、前記のように本件建物につき佐々木の所有権取得登記がなされている事実を、昭和二九年末頃までには知つたが、右建物はいずれ自己の債務整理の資に充てるつもりで、かねてその処分方を債権者の一人である佐々木にも依頼していたこととて、同人に対し右登記の抹消を強いて求めず、速かに右建物を売却して債務関係の整理をつけるよう、引き続き同人に依頼した事実を認めることができる。前顕証人松原一男の証言中右認定に反する部分は措信しえない。
してみれば、佐々木は松原の所有に属する本件建物を自己の名において売却するにつき同人の同意を得ていたものと認めるのが相当であるから、その後佐々木のなした右建物の処分行為は、これをもつて無権利者の専断行為というは該らず、与えられた処分権の行使として、適法な行為たりうるものといわなければならない。ちなみに、右処分の同意は代理権の授与とはその性質を異にするが、これをもつて代理とした被控訴人の主張は、その法律的表現の適切を欠いたにとどまり、右処分の授権およびその権限行使の事実自体は、その主張に含まれているところと解される。
(三) 何れも成立に争いのない甲第二・第四号証と乙第四号証の一ないし四、当審証人佐々木孝の証言により成立の認められる甲第六・七号証、前顕証人佐々木孝の各証言ならびに原審および当審における被控訴人本人尋問の結果を綜合すると、佐々木孝は被控訴人に対し、昭和三一年五月一日頃、本件建物を自己の所有物として概算代金四八万円(地代や税金の滞納分の引受支払額等と清算のうえ確定する約)で売り渡し、同年六月一四日広島法務局大竹出張所受付第一一六五号をもつて手続上適法に所有権移転登記を了した事実を認めることができる。右証人佐々木孝の当審証言中、右の時期・体様における売買を否定する趣旨やに解される部分は、前顕甲第五号証の記載によつて窺われる事後の経緯と前記登記当時における交渉との時間的先後を全く無視したものであつて、同証人の原審における証言や前顕被控訴人本人尋問の結果と対比すると、措信できない。
そうすると、佐々木が右建物を自己の名において売却しうる権限を与えられていたことは前叙認定のとおりであるから、右売買契約によつて建物所有権は有効に被控訴人に移転したものということができる。この場合、佐々木を所有権者として結ばれた売買契約(売買による債権債務関係は佐々木と被控訴人との間に生ずる。)によつて、松原から被控訴人への物権変動が生ずる結果となつても、売買の目的たる本件建物所有権の同一性が失われるわけではないから、売買契約の効力に消長を及ぼすものではない。
(四) 以上の認定を覆えし、被控訴人の所有権取得を否定すべき事実関係を認めさせるような証拠は存しない。
控訴人は取引の公序良俗違反や要素の錯誤による無効を唱えるけれども、被控訴人の所有権取得は、前叙のように、松原から与えられた処分権に基く佐々木の売却行為によるところであつて、右授権(処分の同意)についても、佐々木の処分行為についても、控訴人主張のような理由による無効を根拠付けうるような事実は証拠上認められない。あるいは佐々木の売却行為が、松原を排して利益を私せんとした意図に出た処分権の乱用行為であつたとしても、被控訴人においてかかる事情を知り、または知りうべかりしものとなすべき事実を認めうる証拠がないから、無効とはならないこと同様である。
なお、控訴人主張のように、松原と佐々木との間の別訴において、本件建物に対する両名間の所有権移転登記の抹消登記手続を求める松原の請求を佐々木が認諾したことは、被控訴人の争わないところであるけれども、控訴人と被控訴人とは、右認諾のなされた訴訟の主たる当事者ではなく、認諾後の承継人でもないから、認諾が右両名に対し拘束力を有すべきいわれはない。もつとも被控訴人が右別件において佐々木のため補助参加をしていたことも当事者間に争いがないが、被参加人が相手方の請求を認諾した以上、補助参加人がその事件でこれを争いうる余地は存しなくなるから、被控訴人が補助参加人であつたからといつて、右認諾のなされた事実が、法律上はもとより、事実認定における一徴憑としても、前叙の判断と牴触する意義を持ちうるものではない。
(五) 右に認定した被控訴人の本件建物所有権の取得当時から、控訴人がこれを占有していることは当事者間に争いがない。控訴人は、右建物を松原から譲り受け、所有権者として占有管理しているものと主張し、当審における控訴人本人尋問の結果中には、右主張にそうように認められる供述部分が存するが、右供述はその曖昧さと弁論の全趣旨に徴しても、また当審証人松原一男や原審証人陣武静吾の各証言に対比しても、到底信用しがたく、他に控訴人の所有権取得の事実を認めさせるような証拠は何もない。右松原一男の証言ならびに原審および当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人も松原から本件建物の売却方の依頼を受け、併せて、売却されるまでの間、右建物に居住して管理するよう頼まれていたことを窺えなくはないけれども、かかる事実は、被控訴人に対抗しうる占有権原として、その明渡請求を拒みうる事由にはならない。
そうすると、控訴人は、被控訴人に対抗しうべき権原なくして、その所有に帰した本件建物を占有しているものというべきところ、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は右建物についての売買の交渉をしていた昭和三一年四月下旬頃から、控訴人に対し、自己がこれを買い受ける旨を表示し、その明渡しを促していたものと認められるから、被控訴人が前叙のとおり五月一日頃買受契約を締結した上所有権取得登記を了した同年六月一四日当時には、遅くとも、控訴人は被控訴人への所有権移転の事実を知るに至つていたものと推認される。それ故、他に格別の主張立証のない本件においては、控訴人は、同日以後、少くとも過失による不法占拠者として、これにより被控訴人が被つた損害を賠償すべき義務あるものといわなければならない。そして、原審における鑑定人岩見美雄の鑑定の結果によると、本件建物の同日以降における相当賃料額は一ケ月金八、〇〇〇円を下らないものと認められるから、被控訴人は控訴人の不法占拠により右に相当する損害を被つて来ているものというべく、控訴人は、同日以降建物の明渡しずみに至るまで、右の割合による金員を損害賠償として支払わなければならない。
(六) されば控訴人に対し本件建物の明渡しと右金額の損害賠償を求める被控訴人の本訴請求は理由があり、これを認容した原判決の結論は結局正当であつて、本件控訴は理由がない。
よつて民事訴訟法第三八四条・第九五条・第八九条・第一九六条(家屋明渡を命じた部分については、仮執行の宣言を附さないのが相当であると認めた。)に則り、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三宅芳郎 裁判官 裾分一立 裁判官 横山長)